集まれ!離婚した人、しちゃう人

    大切な事は、自分が何をしたいか解ってる事だよ。

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    離婚の是非に迷った時こそ「私」が変わる必要性。

    「私が○○するのは、配偶者が△△するからだ。」と思い始めた時から、夫婦間の溝は刻まれ始めているのではないでしょうか。

    仲良く暮らす為には単純に逆の考えた方はできないでしょうか。

    「配偶者が△△するのは、私が◇◇するからだ。」こう考える事ができれば、その状況から脱する為には「私」が変われば良いのですが、他人に変わる事を望んでしまうと無茶ぶりにしかならない事は、あちこちで言われる事です。

    いくら何十年も過ごしてきた夫婦であろうとも同様で、配偶者の性格と言いますか、性質の部分は誰でもない「私」が最もよく解っているはずではないでしょうか。

    「私」にとっては苦痛な事だとしても、配偶者の目的が「私」に苦痛を与える事だとは限りません。いや「私」に苦痛を与える事が目的になっている事は希少なんじゃないかと感じています。

    もちろん、配偶者の言動に対して直接に指摘し気持ちを伝える方法もあります。しかし、その程度で修正される程度の事ならば大きな苦しみになる事もないでしょう。黙って一人で苦しむ必要はありません。そんな話し合いが出来る関係は良好な関係だと考えられます。

    それでも配偶者の言動に苦しめられる場合、冒頭に記したように「私」が変わるしか方法は無いのではないでしょうか。

    明らかに、普通は、世間は、一般的に、良いとか悪いとかとの判断は意味を成しません。その夫婦にとって、その家族にとっての正解を作っていく事になります。世間はどうであれ、隣近所がどうであれ、夫婦の関係は夫婦で決めれば良いのですから。

    もちろん法に触れない範囲でと条件が付く事は言うまでもありませんが、家庭内の出来事のほとんど場合は法が適用されない事も多いものなので、夫婦が納得しているのならば、それが正解となってしまいます。

    もちろんDVや散財など場合によっては生き死に影響するものもありますが、それすらも声に出さなければ、「私」が耐える事を我慢する事を止めなければ変わる事は無いでしょう。

    変わる事は我慢する事でも耐える事でもありません。
    時には我慢する事で承認されたものと誤解を与える場合があります。

    例えばDVの場合、うがった見方をすれば「私」が耐えるから、配偶者は暴力で表現するんです。つまり配偶者が暴力で表現するのは「私」が耐えるからとも言えます。「私」が変わり、耐える事をやめれば暴力に訴える事自体が不可能になってしまいます。

    いずれにしても「配偶者が△△するのは、私が◇◇するからだ」との視点で考えて見る事により解決の糸口を見つける事はできないでしょか。そして、それが離婚を決心させるに至る事も珍しくなく、今ひとつ離婚に対して割り切れない感情を見直す事も可能になってきます。
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